ハーマンミラーストアでのワークショップの様子

GWが始まる直前の夜にハーマンミラーストアで「アイデアキャンプ – 創造する時代の働き方」の出版記念セミナー&ワークショップを開催させていただきました。

最長で10連休になる並びのGWだったことから、どこかに行かれる準備や飲みに行かれる方も多かったようです。そんな中、多くの方にご参加いただき、本当にありがとうございました。

アイデアキャンプとは?という話を20分ぐらいした後に、本の中で紹介している発送技法の中でも取り組みやすいランダム・インプットをみなさんと実践してみました。
「生まれ変われるとしたら誰になりたいか?」というカタチでまずは自己紹介しあい、その後はしりとりを一通りやってから、「新しい働き方」というお題でランダムインプットをやりました。

ランダムインプットは、たまたま選んでしまった言葉をきっかけとして、お題と組み合わせたアイデアをひねり出す強制連想法のひとつです。
●●(新しい働き方)とかけて▲▲(目をつぶってしりとりの結果を書いた紙に指を下して選んでしまった言葉)と解く、その心は■■!とアイデアを出す『なぞかけ』だと考えて思いついたことを口にしてみて下さい、といった説明をしました。

最初は戸惑っていた方もおられましたが、順番にとにかく何か口にしてみる「質より量」の場であるアイデアキャンプの感覚をだんだんと体感していただけたように思います。

じつはこの日まで本の実物を見た事がなく、見本の中から30部を出版社からストアまで送っていただき、直前に実物を手にしました。長い時間をかけて書いた本だけに、感慨もひとしおでした。

お忙しい中参加していただいた皆さま、どうもありがとうございました!


ゲルで街なかキャンプ

ネットをいろいろ見ているうちに、モンゴルの遊牧民の住まいであるゲルを街中で使ったキャンプをやってみた、という記事がありました。

遊牧民のゲルで街なかキャンプをやってみた:地球のココロ

いやー、何とも楽しそうです。

お薦めアイデアキャンプ場として、このサイトでもいくつかのキャンプ場を紹介していますが、都内に「貸し原っぱ」があるんですね、びっくりしました。
貸し原っぱ「音地」
原っぱ、という言葉を聞くだけでちょっとワクワクしてきました。


ハーマンミラーストアで出版記念セミナー&ワークショップ

「アイデアキャンプ 創造する時代の働き方」
中西泰人 / 岩嵜博論 / 佐藤益大 著 (NTT出版より5月発売予定)

この本の発刊に先立ち、著者である中西泰人が、東京丸の内にありますハーマンミラーストアで出版記念セミナー&ワークショップを開催させていただくことになりました。

中西は東北大学が主催するせんだいスクール・オブ・デザインでも講師を務めていますことから、こうした時期に出版イベントを開催することの意義を考え、下記のような主旨で行います。
(以下 http://hermanmiller.co.jp/storetokyo/archives/date/2011/04より)

未曾有の震災にみまわれた日本。この大きな困難をどのように克服すればよいのだろうと考えておられる方や、今後、暮らしや働き方がドラスティックに変わるなかで、自身の行動や社会の変化の行方について考えられている方に、是非ともご参加頂きたいイベントです。
ワークショップではグループに分かれてアイデアキャンプを行います。個々の頭の中に漠然と存在しているアイデアも、グループで共有しワークショップを通じてつなげることで、実現可能なものへと変化するかもしれません。

■日時: 2011年4月28日(木) 19:00~20:00 (開場18:30)
■場所: ハーマンミラーストア
東京都千代田区丸の内2-1-1
TEL: 03-3201-1840

http://hermanmiller.co.jp/storetokyo/

■定員: 先着30名 (参加費無料・要予約)
■ご予約方法: 4月26日(火) までに、お名前と人数、当日の連絡先を明記のうえ、題名を「アイデアキャンプ出版記念セミナー」として、info_storetokyo@hermanmiller.com までご連絡頂けますようお願い致します。


草にすわる

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八木重吉という詩人の「草にすわる」という詩をご存知ですか。最近は小学生の教科書にも載っているそうです。

わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる

草が「わたし」の心を振り返らせた瞬間を、1つの空白だけで表現しているような、鋭さをもつ詩。

空白がある文章が1行目にあるのと2行目にあるのとが掲載されている本によって違うようで、どちらが正しいか議論がなされているようです。空白の場所が違うとまた、「わたし」との向き合う時間の感覚がちょっと違いますね。

わたしの まちがいだった
わたしのまちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる

詩の初稿はまた違うみたいです。自分自身を傾聴している感じが出ているかと思います。
 私のまちがひだった
 私のまちがひだった
 こうして 草にすわれば それが わかる
 この 草は しづかだもの
 (『秋の瞳』「草にすわる」初稿)

この詩が思わぬ本の中で紹介されていました。
 見田宗介 社会学入門 - 人間と社会の未来 岩波新書
です。

見田宗介 社会学入門 - 人間と社会の未来 岩波新書

本も草のうえにと思い、草の模様のクッションの上にのせてみました。

この本の4章「愛の変容/自我の変容」の中で、新聞の読者の短歌の欄の作品を二〇年分を通読し、愛:他者との関係の変容と自我:自身との関係の変容を日本社会の変動とともに論じています。その章の最後の節で、二つの短歌を論じる際にこの詩について言及されていました。
● p.112
ためらわず車椅子ごと母を入れナース楽しむねこじゃらしの原 吉田方子

「愛」ではなく奉仕ではなく献身ではなく親切ではなく感謝ではないような仕方で、三人は自由に結び合っている。「草にすわる」という八木三重吉の短い詩は、草にすわる、という単純なただそれだけの行為が、自己と他者との関係の拮抗性をふしぎに消去してゆく機微を鮮明に記していますが、ねこじゃらしの原に酩酊することで、人と人との間に敷かれているという暗い国境がやすやすと越えられている。けれどもそれは、異質の他者を排除して安心する共同体ではなく、異質の他者が、自由に結合し呼応し共歓する交響体ともいうべきものです。

それぞれにそれぞれの空があるごとく紺の高みにしずまれる凧 渡辺松男

<孤高>ではなく<連帯>ではなく、複数の存在が存在しっている仕方。
「ねこじゃらしの原」の楽しさと「それぞれの空」の潔さとを組み合わせてみた方向に、わたしたちは、少なくとも現在よりもよい社会のあり方を思い描いてゆくことができる。

ここでの交響体と共同体の他にも、社会の存在の形式として、連合体と集列体があげられています(p.18)。

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p.18 社会の存在の4つの形式

共同体は伝統的な家族共同体や氏族共同体、集列体は私的な利害追求にもとづく競合がせめぎあう市場のような社会、連合体は「会社」や「団体」など個々人の自由意志で特定の利害関係や関心の共通性相補性等によって結ばれた社会、交響体は個々人が人格的に呼応し合うという仕方で存立する社会、と分類されています。

こうした社会の変遷を歴史的に俯瞰しつつ、社会はどこへ向かうだろうか?というのが本書のテーマです。

グローバリズムや市場原理主義の進展とともに、共同体と連合体が、集列体へと引き寄せられているようにも思います。
明治以降の近代化は、共同体のメンバー(農家の次男三男)を意図的に連合体へと吸収していったと要約できるでしょう、その変遷がとても分かりやすく説明されています。その変化があまりにも欧米諸国よりはやい(三倍速ぐらい?)ために、連合体は共同体としての性格を強く持っている(た)と思います。

このブログにとって分かりやすい交響体の例として以下のような記述があります。
● p.193
現代の雰囲気のよい職場の「同僚」の関係というようなものも、相互の適切な「距離」の尊重と配慮ということを基底としながら、直接にそれが歓びであるような会話や協同を、時に応じて楽しむことのできる場所である。
さまざまな制度の内部や外部につくられるゼミナールやサークルのような集団も、他者の自由の相互の尊重という形式を優先する原理として基底におきながら、可能な限りの歓ばしい交響性の濃度や淡度を楽しむことのできる空間/時間として経験されることができる。

他者の存在が、歓びの源泉であると同時に苦しみの源泉でもあるという両義性を踏まえ、交響とルールをどう共存させてゆくか。これはさまざまな社会に属するメンバーそれぞれが考えるべきテーマでしょう。

● p.20
近代、現代社会は、<諸連合体・の・集列体>という構造を骨格としつつ、即自的、および対自的な種々の共同体を内包し、またたえずあたらしく形成しつつある。
また仮に、社会の「交響体」的な存立の形が地表をおおう時代が来たり得るとしても、それは単一の交響体ではなく、多様な<諸交響体・の・連合体>として、重層的にのみ構想されうる。

アイデアキャンプは、そんな重層性をつくりだす方法のひとつでありたいと思っています。

みんなで、草にすわる。
それは連合体に交響体を重層する何かのきっかけになるのではないか。そんな風に思っています。

追記:
梅棹忠夫のいう、サムライ化(サムライぜーション)と町人化(チョウニナイゼイション)に言及したこちらのエッセイ
オリンピックと日本も交響体としてのスポーツ文化の可能性を語っているのではないか、と思いました。via 私的自治の時代


営巣本能を呼び起こす

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hi mi tsu ki chi です。帯の甲本ヒロトのコメントもいいですね。
「基地」よりも、「秘密」ってことが大事なんだ。

書店でふと目にとまった写真集がありました。
西宮 大策 hi mi tsu ki chi ヒミツキチ 小学館
こどもたちがつくった「秘密基地」の写真集です。こどもたちが場所を見つけ、自分たちで枝や傘や段ボールなどでつくった秘密基地が13個収められています。西宮さんは2年半の間、100日ほどかけて、東京近郊の少年少女が作った秘密基地を探されたのだそうです。
へぇー、とか、ほほっ、なんてことばにもならないような音が口からつい出てしまうような、ステキな風景が集められています。さらに建築家の中村好文さんがステキな解題を書かれていて、そこでのキーワードのひとつが「営巣本能」でした。

さまざまな知識を持つ専門家がデザインするオフィスや建築は、多様な意図が込められて設計がなされます。その一方で、人間が元から持っているような本能的な生活の空間も、魅力がいっぱいですよね。
田んぼや畑の真ん中に立つ農作業小屋や、地域の風土に合わせて代々作られてきたような土着的な建築など、動物としてのヒトの営巣本能が立ち上げたような空間。そこには、棲む・住むというヒトの営みの原初が見えるような気がします。

現在でもそうした営巣本能が最初に発揮されるのは、子供達がつくる秘密基地やダンボールのお家ではないでしょうか?
ボクの秘密基地は、阪神電車の香櫨園という駅の下を流れる夙川沿いにある公園の大きな松の木の根っこが作った窪みの中にありました。ワクワクしながら友達と秘密基地に集合したものです。
次に引っ越した家は庭が広かったので、ダンボールで使って自分でよく「離れ」を作っていました。といっても、屋根はつくらないで、床と壁があるだけの空間。独りで床に寝転がり、ダンボールの壁で切りとられた青い空を見上げるのが好きでした。

家の大半は、お金を払って借りたり作ってもらったりすることがほとんどになってしまいます。セルフビルドで家を建てる人もいますが、自社ビルをセルフビルドで建てることは聞いた事がありません。オフィスのセルフビルドはたまに耳にするぐらいです。

オフィスビルはOffice Buildingの略称です。ビルディングと言えば、だいたい5階立てより背の高い建物のことを想像しますよね。
でも「build」という動詞は、さまざまな名詞に対して使われます。建物だけじゃなく、ソフトウェアやチームもビルドする対象です。
ビルをセルフビルドは出来なくても、オフィスやチームやセルフビルドしてもいいはずです。中途半端に略さないで、最後までingを付ける方がいいんじゃないでしょうか。働くことは、自分達でオフィスをbuild-ing:構築しつづけること、でもあるはずです。

そんなことをこどもたちの秘密基地の写真を見ていて思いました。

森井紙器工業(MORIISHIKI)の 段ボール簡単工作シリーズ すまいるキッズハウス です。

Amazonでも、秘密基地の写真集だけでなく、森井紙器工業(MORIISHIKI)という会社が販売している段ボール簡単工作シリーズ すまいるキッズハウス を買うこともできます。ボクは家に余っていたようなダンボールでお家をつくっていました。そう思うとかなりゴージャスというか、そういう時代なんでしょうか…。

デザインされたダンボールのお家もあります。
もうちょっと大きな人達もお外で場所を見つけて、秘密基地をつくりに行きましょう!