コンヴィヴィアリティのための道具

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イヴァン・イリイチのコンヴィヴィアリティのための道具。

イヴァン・イリイチは、ウィーン生まれの哲学者で、現代産業社会批判で知られる社会評論家・文明批評家です。「脱学校化」「バナキュラー」「シャドウ・ワーク」といった言葉を通じて、近代が生み出した学校・交通・医療といった制度やサービスやシステムが持つ効率化への志向が、人間の自立を阻み自律を喪失させるとして、それらから離れて地に足を下ろした生活のあり方を模索しました。

アイデアキャンプに関連のありそうな論考として、
「コンヴィヴィアリティのための道具」
「生き生きとした共生を求めて – 民衆による探求行為 – 」
などがあります。

イリイチは、「用いる各人に、おのれの想像力の結果として環境を豊かなものにする最大の機会を与える」ものをコンヴィヴィアリティのための道具と呼びました。「コンヴィヴィアル」には「楽しいつどいの」「みんなでワイワイがやがやと楽しい」という意味があり、「自立共生的な」と訳されることもあります。

イヴァン イリイチ, コンヴィヴィアリティのための道具, 日本エディタースクール出版部 (1989/03)
から一部を抜粋してみます。

p. 19
産業主義的な生産性の正反対を明示するのに、私は自立共生(コンヴィヴィアリティ)という用語を選ぶ。私はその言葉に、各人のあいだの自立的で創造的な交わりと、各人の環境との同様の交わりを意味させ、またこの言葉に、他人と人工的環境によって強いられた需要への各人の条件反射づけられた反応とは対照的な意味をもたせようと思う。私は自立共生とは、人間的な相互依存のうちに実現された個的自由であり、またそのようなものとして固有の倫理的価値をなすものであると考える。私の信じるところでは、いかなる社会においても、自立共生(コンヴィヴィアリティ)が一定の水準以下に落ち込むにつれて、産業主義的生産性はどんなに増大したとしても、自身が社会成員間に生み出す欲求を有効にみたすことができなくなる。

p.39
自立共生的道具とは、それを用いる各人に、おのれの想像力の結果として環境をゆたかなものにする最大の機会を与える道具のことである。産業主義的な道具はそれを用いる人々に対してこういう可能性を拒み、道具の考案者たちに、彼ら以外の人々の目的や期待を決定することを許す。今日の大部分の道具は自立共生的な流儀で用いることはできない。

p.44
自立共生的な社会にとって基本的なことは、操作的な制度と中毒性のある商品およびサービスが、全く存在しないということではなくて、特定の需要(それをみたすために道具は特殊化するのだが)をつくりだすような道具と、自己実現を助ける補足的・援助的な道具とのあいだのバランスがとれていることなのである。最初にあげたような道具は、一般化された人間のために抽象的なプランにしたがって生産をおこない、あとであげたような道具は、それぞれ独自なやりかたで自分自身の目標を追求する人々の能力を高める。

この考えはインターネットの勃興期にも影響を与えたと言われていて、
 古瀬 幸広, 広瀬 克哉, インターネットが変える世界 (岩波新書)
にその事が少し書かれています。創造的な参加社会へ向けた道具という意味では、川喜田二郎氏の「野外科学と発想法」とも関連があるでしょう。
アイデアキャンプもこうしたコンヴィヴィアリティのための道具・環境でありたいと思っています。

いろんな人に試してもらいたい。そう思っているので、特別な道具を使わない・自分で用意できる道具で環境をつくる・持続できる環境、であることは大事だと思っています。なので、アイデアキャンプは既にある道具を編集した環境の提案となっています。


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